「サブカルチャーの死と政治の空洞化:海外TikTokerが語るオルタナティブの現在地」

動画の概要:サブカルに政治はもうない?

本記事では、アメリカの人気TikToker「madeline_pendleton」による、サブカルチャーと政治の乖離を語った動画を紹介します。パンクやオルタナティブといったカウンターカルチャーが、いつしか体制寄りの政治思想を受け入れ始めた現状に警鐘を鳴らす内容で、サブカルに関心のある若者から、政治に疑問を持つ人々にまで響く強烈なメッセージが込められています。

アップローダー紹介

madeline_pendletonは、リベラルな視点から社会問題や政治について語るTikTokクリエイターで、特にZ世代やミレニアル世代から高い支持を得ています。鋭い切り口とユーモアを交えた語り口が特徴で、フォロワーとの対話型コンテンツも多く見られます。


動画の内容を要約

「政治を語らないサブカル」は、もはやサブカルじゃない

動画冒頭では、かつてのパンク文化では政治的な意見や反資本主義の姿勢が当たり前だったと語られます。ライブ会場ではグッズではなく政治的な文献が売られていた時代もあり、「思想なき者はポーザー」とさえ言われていたほどです。

見た目は反体制、中身は保守的?

現在では、見た目はオルタナティブであっても、言っていることは体制擁護という人が増えたと指摘。表現と言葉だけが「進歩的」なふりをして、実際は抑圧的な思想を再生産している現象があると批判します。

「リアクショナリー」という政治のトラップ

動画では、「リアクショナリー(反動的)」という言葉の意味にも触れ、表向きはリベラルな言葉を使いながらも、実際には現状維持や権力の擁護につながるような言説の危うさを解説しています。

ポップな見た目と空っぽの政治

かつて「ACAB(警察全員クソ)」を掲げていた人々が、今では表面的なファッションや商品ばかりを追いかけ、本質的な政治思想の形成を放棄していると警告。ラディカルな思想が抜け落ち、商業主義に呑み込まれた現状を問題視しています。

「もう本を売ろう」――サブカルの再構築に向けて

最後に彼女は、「今こそグッズではなく本を売るべき」「思想の門番をするべき」と主張。あるいは、今のサブカルチャーそのものが死んだと認める必要があるかもしれない、とも語ります。


筆者の感想と考察

madelineの動画は、現代の「オルタナティブ」や「サブカルチャー」に感じていた違和感を言語化してくれた内容でした。特に、進歩的なふりをしつつも体制に従順な人々を「リアクショナリー」と見抜く視点は鋭く、SNSでよく見かける「主張しているようで実は何も言っていない」人々の正体を炙り出しているように感じます。ファッションやスタイルがいくら反体制的でも、中身が空っぽならそれはただの「見せかけ」に過ぎません。本来のカウンターカルチャーの役割とは何だったのか、再考するきっかけになる動画です。


完全翻訳

みんなに質問があるんだけど、オルタナティブな人たちはいつからオルタナティブな政治をやめたの?

私はもうすぐ40歳で、2000年代初頭にパンクのライブに通い始めたけど、その時点でもう遅かった。パンク自体はそれよりずっと前からあった。でもその頃でも、パンク界隈ではマーチャンじゃなくて政治的な冊子やジンを売るのが普通だった。オルタナティブなサブカルチャーの世界では、しっかりとした反資本主義的な政治的思想を持っていることが参加の前提だった。もしそれがなければ、「ポーザー(にわか)」と呼ばれて相手にされなかった。最低でも読書くらいしてこいってね。

でも今では、サブカルの音楽もファッションも商業主義に染まってしまったのと同じように、政治思想まで主流化してしまったように思える。

左翼系の政治スペースには「リアクショナリー(反動的)」って言葉がある。私はよく、感情的に反応してるだけの人って意味で冗談っぽく使うけど、本来の意味はもっと深い。解放を語りながら、実際には抑圧を維持しようとするような矛盾した言動をする人たちのこと。たとえば、「虐殺を行った政党に投票しなきゃ差別主義者になるよ」って言うような論理。

昔だったら、そんなことを言うのは中産階級のリベラルだった。エコバッグを持って、NPRを聴いて、ファーマーズマーケットで買い物するような人たちが、「戦争は嫌だけど、悪い奴らだったから爆撃するしかなかった」と言う。でもその「悪いこと」って、実はただアメリカのビジネスに反対してるだけだったりする。

昔はそんな人を皮肉るパンクソングがたくさんあった。でも今じゃ、そういう思考がオルタナティブなサブカルの中で受け入れられてる。

文化の中にサブカルがもう存在してない。今では、ネットでアメリカの覇権や支配を擁護するようなヤバい政治的発言をする人が、見た目だけは完全にサブカルな人だったりする。一世代のうちに、こうなってしまった。

もちろん、今でも本物のパンクスや、左派の中での内輪揉めは残ってるよ。たとえばアナーコ・シンジカリストが共産主義者とやり合ってるとか。でも多くの人は、「ACAB(警察全員クソ)」って言ってた頃から、実際には政治的に過激になることをやめて、見た目だけのポップな政治文化に流れてしまった。見た目だけね、思想じゃなくて。

そして今では、多くの人が資本主義の片翼の政治、つまり戦争と搾取のためのシステムを支持している。世界中の人々を犠牲にして、自分たちの安全と快適さを守るためにね。

私たちは、サブカルチャーを再びオルタナティブなものにする必要がある。マーチじゃなくて本を売ろう。もっと思想の門番をやるべきなのかもしれない。もしくは、今のサブカルはもう死んだと認めるべきかもしれない。商業主義に取り込まれて、本物の何かなんてもう残ってない。

今や、主流文化を支持することがカウンターカルチャーだって言われる。悲しいと思ってもいい。でも、そうしなきゃ悪人だって言われて、死んでも仕方ないって言われる。そんなの政治じゃない。マジでおかしい。誰がこんなの許したの? そんなの、まともなスタンスじゃないよ。変だよ。

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