東日本大震災後の福島第一原子力発電所事故から10年以上が経ちました。福島県では事故以降、特に子どもや若者を対象とした甲状腺の大規模スクリーニング検査が実施され、多くの甲状腺がんが見つかりました。一方で、この状況は、1986年に発生したチェルノブイリ原発事故と比較されることが多く、住民の間では放射線被曝による健康被害への不安が依然として続いています。
実際に福島とチェルノブイリで見つかった甲状腺がんの遺伝子を比較すると、特徴的な違いが確認されています。今回は、その「遺伝子の傷つき方」の違いについて、科学的な事実に基づいて解説します。
遺伝子の傷つき方には「2つのタイプ」がある
甲状腺がん、特に乳頭状甲状腺がん(PTC)には、主に2種類の遺伝子の異常が見られます。
- 遺伝子再構成(融合遺伝子の形成)
- 異なる遺伝子同士が融合する異常です。RET/PTC融合遺伝子などが代表的で、放射線被曝が引き起こす特徴的な異常として知られています。
- チェルノブイリ事故後に多く確認されました。
- 遺伝子の点突然変異(BRAF遺伝子変異など)
- 特定の遺伝子の一部だけが変異する異常です。特にBRAF遺伝子の変異(BRAFV600E)は自然発生の甲状腺がんでよく見られ、放射線被曝がなくても起こります。
チェルノブイリ事故後に見られた遺伝子異常とは?
チェルノブイリ原発事故では、多量の放射性ヨウ素により、特に乳幼児や若年者で甲状腺がんが顕著に増加しました。これらのがん細胞を調べたところ、「遺伝子再構成」というタイプの遺伝子異常(RET/PTC融合遺伝子)が多く検出されました。
この遺伝子再構成は、放射線に特有のDNAの損傷の仕方を反映した異常であり、「放射線誘発性甲状腺がん」の特徴的な指標とされています。
福島での遺伝子異常の特徴は?
一方、福島県で確認された甲状腺がんの遺伝子異常は、「遺伝子再構成」よりも「点突然変異」、特にBRAF遺伝子変異(BRAFV600E)が高頻度で見つかっています。これは放射線とは無関係に自然に発生する、成人に多い「散発性甲状腺がん」のパターンに近いものでした。
実際に、福島の若年患者の甲状腺がんでは、遺伝子再構成がチェルノブイリと比べて著しく少ないことが研究で明らかになっています。
なぜ違いが生じるのか?
この違いの原因として考えられるのは以下の二点です。
- 被曝線量の違い
- チェルノブイリでは、放射性ヨウ素による甲状腺への高線量の内部被曝が起こり、遺伝子再構成が多発しました。一方、福島では住民の被曝線量は非常に低く、多くの住民で数ミリシーベルト(mSv)未満にとどまっています。これは、放射線による遺伝子再構成が起きる線量より遥かに低いと考えられています。
- スクリーニング効果による過剰診断
- 福島では事故直後から非常に高感度な超音波検査が実施されました。そのため、本来であれば臨床的に問題にならない程度の小さな甲状腺がんが早期に多数見つかった可能性があります。
結論:「遺伝子の傷つき方が違う」は事実
このように、福島とチェルノブイリの甲状腺がんの違いは科学的に明確です。
- チェルノブイリ: 放射線誘発性の遺伝子再構成が特徴的
- 福島: 自然発生型のBRAF点突然変異が特徴的(放射線との関連は低い)
この違いは、「遺伝子の傷つき方が違う」と表現されることがありますが、実際に科学的データから見ても正確な表現です。
社会的な不安と過剰診断の問題
福島の甲状腺がんについては、遺伝子レベルで見ると放射線との関係は非常に薄いとされています。しかし、一方で社会的には、チェルノブイリ事故後のような健康被害が福島でも起きるのではないかという不安が残っています。
過剰診断の問題もあり、福島での甲状腺がん検査の基準は今後、慎重に再検討される必要があるでしょう。
科学的な事実を踏まえて、適切なリスクコミュニケーションを行い、不必要な不安や誤解を生まないことが今後の課題です。
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